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信 徒 の 証

 
小さな幸せ
門山 信男
 子供の頃、冬には近所のおばあさんたちが日の当たる場所に集まり、楽しそうに話しているのを近くで見ていた。そのおばあさんたちは、若いころから子育てをしながら農業を行い、腰は曲り、手は荒れ、顔には苦労の跡が見られた。しかし、みんなで話しておられる顔は生き生きとし、大きな声で笑っておられて力強さを感じたものであった。
 わたしが成人してから何人かの方の写真を撮らせてもらったが、皺の多い顔からほとばしる笑顔が忘れられない。きっと幸せな人生だったと思っておられるに違いない。

 毎年、自宅の小さな庭に小鳥たちがやってくるのを楽しみにしている。 メジロ、ジョウビタキ、セキレイ、スズメ、ヒヨドリなどであるが、時にはハト、カラスなどの大きな鳥も舞い降りてくる。窓越しに小鳥たちを観察し、妻の育てている花々を眺めていると小さな幸せを感じ、日常の中に神様のみ業と愛を感じる。
 また、野に咲く草花も好きでよく撮影をする。小宇宙とも言われる野の花であるが、顔を近づけルーペで観察するとその意味がよく理解できる。マクロレンズで等倍、それ以上に拡大して撮影すると、細かな部分があり、美しくそれぞれに役割がある。空の大宇宙に対して小宇宙といわれる理由がわかる。ここにも神様のみ業と愛を感じる。

『だから、言っておく。命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の身体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、身体は衣服より大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、借り入れもせず、蔵に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。また、『あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花一つほどにも着飾っていなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装って下さる。』
(マタイによる福音書6章25節~30節)

 しかし、このような小さな幸せを奪われている人々が世界では大勢おられる。特にウクライナの人々は、国を破壊され、家を失い、命の危険にさらされている。一日も早く戦争を終わらせ、小さな幸せを感じられる国に、生活に戻れるようお祈りしたい。


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