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聖書からの話し

聖書からの話し

   「愛は忍耐強い」
牧師 栗﨑 学

   「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。」
   Ⅰコリント13:4

 このみ言葉は、現在、松阪ルーテル教会の掲示板に掲示しているものです。
イエス様は、聖書の中でもっとも重要な教えは「愛」であると教えてくださいました。「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。また自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい。」
これはある意味では非常にわかりやすい教えであると言えるでしょう。しかし実際的なこととして具体的に考えてみますと、これが非常に難しい。なぜなら私たちは、愛とは全く正反対の行動ばかりとって生きているからです。使徒パウロは愛の具体的な面について、先のみ言葉のように語りました。 「愛は忍耐強い」。この意味を考えてみましょう。愛というものは他者との関係の中で生じるものですから、ここで言う忍耐とは、単に自分一人で我慢することというよりは、他者から何か嫌なことをされた時に、それでも忍耐する力と言えるでしょうか。私たちは人間関係において様々な悩みを抱えます。特に傷つくことなどを言われたり、そのような行動をとられた時には、心に傷を受けるものです。それを単に我慢するということは、とても苦しいことで、忍耐強くなるなんて無理だと感じるのが自然ではないでしょうか。
 キリストは私たちに愛を示してくださいました。その愛を思い起こしてみますと、キリストは私たちに対しても忍耐強い方です。それはすなわち、私たちを「ゆるしておられる」という意味に解することができるのではないでしょうか。私たちは人に嫌なことをされると、なかなかゆるせないのです。ゆるせないから、忍耐できないのです。
 しかしぜひそんな時に思い出してほしいことは、イエス様があなたの罪をゆるしてくださったということです。自分がゆるされた恵みを思い起こせば、自分も人の罪を、ある程度ならゆるすことができるかもしれません。たとえば「あの人もきっと何か傷ついていたのかな」、「きっとむしゃくしゃしていたのかな」など、自分も時に人を傷つけてしまうことを思い出して、相手の気持ちを少し理解できると、少しでもゆるす心が芽生えるかもしれません。そうすると結果的に、少しは忍耐する力が与えられるかもしれません。
私たちは誰も完全な愛は持っていませんが、イエス様にならって、少しでも愛に近づくことができたら、そこにはキリストの平和があるはずです。単なる我慢ではなく、私たち自身の心を、キリストの愛によって支配していただきましょう。


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