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聖書からの話し

聖書からの話し

   「愛はねたまない」
牧師 栗﨑 学

   「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。」
   Ⅰコリント13:4

 イエス様は「互いに愛し合いなさい」と命じられました。愛の賛歌と呼ばれる上の箇所から、共に「愛」について学びたいと思います。
 「愛はねたまない」。ねたみとは一体何でしょうか?広辞苑によりますと、「妬む:他人のすぐれた点に引け目を感じたり、人に先を越されたりして、うらやみ憎む」とあります。妬むという言葉はあまり意識しないかもしれませんが、このような心の作用は、ふとした時につい心の中に生じているものかもしれません。特に他人の優れた点を目にした時には、こちらに悪気がなかったとしても、心の中には何か嫌な思いが生じてしまう。そんな性質のものではないでしょうか。
私たちは誰しも自分の幸せを望みます。これは人類共通の思いでしょう。この世界中の人々が幸せになってくれたら、どれほど幸福な世界になるでしょうか。私たちは人類すべての人が幸せになることを望みます。しかしその中で、“私が”幸せにならなければ、それは意味がないと感じるのです。私たちは誰しも自分中心の世界で生きています。自分の周囲360°を見回すことができますが、鏡がなければ自分の姿は見えません。物理的にも、そして精神的にも、私たちは自分中心で世界を見るのです。
 その視点から見た世界は、決して平等ではありません。様々な違いがあり、優劣があり、ある人は幸福だが、ある人は不幸である。そんな現実があります。ですから他人の優れた点を見て、引け目を感じたり、先を越されたと感じるのは当然のことでしょう。うらやましい、ねたましい。そんな思いが生じるのも人の反応としてごく自然なことです。
しかし愛は、このような反応をしない。なぜなら愛は、人の幸せを願うからです。私たちも愛する人の幸せを願います。しかし愛していない人の幸せな姿を見ると、ついねたみが生じる。愛は、「私も」と思わないのです。自分は自分。考えてみるとこれもなかなか難しい教えです。
 ただ私たちはぜひ覚えたいのです。それは、イエス様はそのような愛であなたを愛しておられる。あなたの幸せを願っておられる。あなたが喜ぶことを共に喜んでくださるのです。そんなイエス様が「あなたと共にいるよ」と語ってくださるのです。
 この世を見れば不公平だらけですが、神の愛は公平です。この神の愛を知る時、私たちは自分中心の視点だけではなく、神が私を愛しておられることを知ります。そうすると人をねたむ心にも、少し変化が生じるかもしれませんね。


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